土屋左弥子プロフィール

経歴

1989年岡山県生まれ、広島育ち
2012年京都大学 医学部人間健康科学科 作業療法学専攻 卒業
作業療法士資格取得
2012年〜南大阪小児リハビリテーション病院に勤務
肢体不自由児・発達障害児のリハビリに携わる
2015年~フリーランスの作業療法士として独立
大学非常勤講師、自治体の巡回相談、訪問OT、こどもホスピスのケアスタッフなど、大阪・兵庫・東京を中心に幅広く活動
2017年〜シンガポールに転居
日本人学校・幼稚園でスクールカウンセラー・巡回相談に従事
WHO版PFA指導者育成研修修了
2019年公認心理師資格取得
2020年〜東京の訪問看護ステーションに勤務
訪問OT・医療型短期入所のケアスタッフを兼務
2024年YUIMAWARU株式会社に入社
関西事業本部 YUIMAWARU KANSAIこどもセンターゆいまわるの立ち上げに参画、責任者として配属

私は作業療法士として、学校や地域で「生きづらさ」を抱える子どもたちの環境を整える活動をしています。

私は作業療法士として、子どもたちの「できないこと」を矯正するのではなく、その子がその子のままで生きやすくなる方法を一緒に考えることを大切にしています。

私が届けたいのは、「こうすれば治ります」という正解ではありません。

届けたいのは、“でこぼこのままでも、ちょっと工夫すれば生きやすくなる”という選択肢です。

なぜなら、私自身が「みんなと同じ」ができなくて、自分なりの生き方を必死に探してきた当事者の一人だから。でこぼこのままで大人になった私だからこそ、伝えられることがあると思っています。

小学生の頃、私は学校に行けなくなった時期がありました。

教室の独特の匂いがつらい。みんなと一斉に給食を食べることが苦しい。校門が見えるだけで心臓が速くなる。

今振り返れば、それは感覚の過敏さや環境とのミスマッチによる、言葉にしにくい苦しさだったのだと思います。

転校をきっかけに「なぜ学校で学ばなければいけないのか」という意味づけも揺らぎ、だんだん教室に入れなくなり、やがて校門に入ることさえ苦しくなりました。

そんな時、母は「学校に行けない私」を否定せず、一緒に登校し、時には給食の時間に外へ連れ出し、私のペースを尊重してくれました。

この経験が、今の私の中にある、“子どもを変える前に、その子が置かれている環境を見直したい”という感覚につながっています。

突如として庭に穴を掘り出した小学生の私

私は子どもの頃から、自閉症や障害のある人のことが気になっていました。

ドラマや漫画、本を通して自閉症に触れるうちに、私は次第に、
「これは“できない人”という話ではなく、世界の見え方や感じ方が違うということではないか」
と考えるようになりました。

小学生の頃にはすでに、障害を“欠け”として見るよりも、その人がどんなふうに世界を捉えているのかに強く惹かれていたのだと思います。この視点は、今の支援でもずっと変わりません。
子どもの行動を「問題」として見るのではなく、その行動の奥にある感じ方、受け取り方、環境とのズレを見たいと思っています。

転校先の小学校で、私の人生を変える「怒り」の事件が起きます。

小学生の頃、担任の先生が「親がテレビを見せすぎたせいで子どもが自閉症になった」という趣旨の話をしたことがありました。

その時私は、強い違和感と怒りを覚えました。
「絶対にそんなわけがない。そんなことで人間の何かが決まってたまるか」。

理不尽な偏見に対する激しい怒りで、机を押し上げるほど強く拳を握りしめたことを今でも覚えています。

 でも当時は、なぜそれがおかしいのかを言葉にできるだけの知識も、先生に反論する勇気もありませんでした。

だからこそ、自分で調べ始めました。
本を読み、情報を集め、「自閉症とは何か」「その人はこの世界をどう生きているのか」を知ろうとしました。

高2の時には、ドナ・ウィリアムズの『自閉症だった私へ』を読書感想文の題材に選びました。
私が惹かれたのは、障害名そのものというより、理解されにくい世界を生きる一人の人間の内面でした。理不尽な言葉への怒りが、学びの入口になった。
この体験が、今の私の“子どもを雑に理解したくない”という姿勢の原点にあります。

むくのきキャンプ——
「言葉を使わないコミュニケーション」
に夢中になった

センター試験会場に受験票を忘れるという私らしいハプニングがありながらも、大学受験は無事に成功し京都大学に入学しました。

そこで、私は人生の恩師、小西紀一先生に出会います。

大学1回生のゴールデンウィーク、先輩に「子ども好き?」と聞かれて「はい」と答えたら、「キャンプこうへん?」と誘われました。

それが、京都市の北にある市原の山奥で行われる感覚統合を学ぶ療育キャンプでした。このキャンプは、作業療法士や作業療法士を目指す学生たちが、感覚統合の視点から遊びや支援を学ぶ実践の場でした。

昼は子どもたちと遊びながら観察や評価を行い、夜は小西紀一先生をはじめ先輩たちに教えてもらいながら、その日のセッションの振り返りと翌日の関わりを理論と結びつけて考える。そんな学びを、学生時代を通して積み重ねました。

子どもの目線、動き、間合い、身体の反応を通して、その子を理解しようとする体験は、それまで言語優位で言葉を頼りに生きてきた私には強烈だったのです。

はじめは、全く子どもと遊ぶことができず、悔しくて悲しくて辛いときも。でも、“言葉”を媒介にしなくても「通じ合えた!」と感じたときの感動は言葉にできないほどで、これが発達領域の作業療法士になる決め手になりました。

フリーランス時代——
「作業療法士としてのオプション」を
増やす

前職でのリハビリ中の風景

大学卒業後、私は南大阪の病院で、脳性麻痺の子どもたちと向き合う日々を過ごします。そこで、ボバース法などいわゆる「昔ながらの作業療法」の基礎を教わりました。

でも、3年働いた頃、「コミュニティデザイン」という本に出会います。そこで書かれていたのは、「一人ひとりを治すのではなく、コミュニティそのものをデザインする」という視点。

その時、私は思ったんです。病院の中にいたら、会えない子どもたちがいる。もっと外に出なくては、と。

そこから私のフリーランス時代が始まります。市役所、大学、ホスピス、訪問看護ステーション、保育園・幼稚園の巡回相談——曜日ごとに複数の仕事を掛け持ちし、「作業療法士としての引き出し・オプション」を増やしていきました。

ホスピスでのリハビリ中の風景

特にホスピスでの経験は、私の価値観を大きく変えました。来年の誕生日が迎えられないかもしれない子どもたち。その子たちにとって大切なのは、「より上手に歩けること」や「お箸を使えるようになること」ではありません。

「その子がやりたかったことが実現できること」「親御さんとその子が笑顔になること」。そのために、作業療法士として何ができるか。

私はもっとスキルを手に入れたいと思いました。どんな子に出会っても、何かしらの価値を提供できる作業療法士になりたい。そのために、とにかくいろんな現場を経験したかったんです。

夫の転勤で移り住んだシンガポール。そこで日本人学校のスクールカウンセラーとして勤務したことが、私のキャリアの大きな転換点となりました。

これまで病院や巡回相談の現場で出会ってきたのは、すでに「診断」がついているお子さんたちが中心でした。

しかし、通常学級という「学校の日常」の中に入って初めて、私は衝撃を受けます。

そこには、診断名がつくほどではないけれど、教室の環境や集団生活のルールに馴染めず、人知れず溺れかけている子どもたちがたくさんいたのです。

「病院という箱の中で待っているだけでは、この子たちを救うことはできない。作業療法士が学校という現場に入り、先生方と一緒に『環境そのもの』をデザインしていく必要がある」

カウンセラーとして彼らの声を聞き続けたからこそ、私は作業療法士としての自分の役割を再定義することができました。それが、現在私が人生をかけて取り組んでいる「学校作業療法」を志した、きっかけです。

学校での作戦会議の様子

私は今、ここ西宮で、かつての私のような子どもたちや、かつての母のように悩む保護者の方、そして日々奮闘する先生方とともに、活動しています。

今、私が大切にしているのは「学校を守りたい」という想いです。

日本には、誰もが地域の学校に通える義務教育の文化があります。この「いろんな子どもたちを受け入れる場所として学校が存在し続ける」文化を、私は守りたい。

先生たちに届けたい教育があって、それが子どもたちに届くように、私は自分の持つ全てを使って、学校に入り、学校を守っていきたいと願っています。

一人ひとりの子どもを支えることはもちろん大切です。

そして、ゆくゆくはコミュニティに働きかけていければと思っています。

まち全体が、もっと多様な子どもたちにとって息がしやすい場所になるように、コミュニティそのものを支えていきたいです。

一緒に「でこぼこのままで」
笑える方法を探しましょう

幼稚園の時の私
フリーランス時代の私

自閉症に興味を持ち、作業療法学を学んだおかげで、私は凸凹な自分に気づき、そんな自分も面白い!と思えるようになりました。

凸凹な自分が自分のためにたくさん工夫をしながら生きてきたことも言語化でき、勉強して新たな自分のための工夫も増えていきました。おかげで、どんどん生きやすくなりました。

私は、この作業療法学のおかげで身についた知識やスキルを、今の子どもたちのために使い、さらにどんな子どもたちにも向き合えるように今でも自分の引き出しやオプションを増やしている最中です。

「学校に行けない」「集団が苦手」。それはお子さんが悪いわけでも、育て方が悪いわけでもありません。

一人で抱え込まず、私を「作戦会議のパートナー」として呼んでください。でこぼこのままで、もっと笑える方法を、一緒に探していきましょう。

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